生きるのしんどい

双極性障害2型、急速交代型(*´・ω・`)b。罹患歴14年目。

両親が離婚したときの子供の思い

みなさん、おはよございます。

昨日も1時には寝て、6時には起きられました。
ていうか、寒くて目が覚めるんですよね。
気温が変わってくると、もう今年もすぐ終わるんだなぁっと感じます。あと2ヶ月で2017年も終わってしまうんですね。早いなぁ(*_*)




さて。朝から少し重たい話になりますが、両親が離婚したときの話をします。


私が16歳の時に両親が離婚しました。
私は精神状態が最悪な時で、父は脳梗塞で体に麻痺が残る中、仕事を続けたことが強いストレスになり恐らくうつになってました。
欠勤ばかり続いており、収入が不安定でした。



母は、介護職の管理職をしていましたが会社が大きな不正をしていたことが発覚し、会社が事業廃止。職を失い、父も娘も精神状態が悪い。母も若い頃から患っているうつでかなり精神状態が悪い、でも稼がなければならない。



祖母は足が悪く、日常生活に支障がありました。
生活の何かを手伝えるような状態ではなく、ベッドからあまり動くことができませんでした。
あまり生活の状態に口を出せなかったのだと思いますし、体が不自由なので何かを手伝うことも出来なかったのだと思います。




みんな限界でした。家族で力を合わせて乗り越えよう、となれなかった。
そのころ家庭は暗かった。みんな毎日死なずにいることだけ、それで精一杯でした。




ある日、母から話がありました。
「家を出ていくことにした。お父さんとはもうやっていけない。ごめんね。お父さんには言わないで。」


あぁ、別れるんだ。

なんだか心に大きな穴が空いたようでした。
なにかが変わる予感と、やりきれない悲しみを感じました。


楽しかった旅行の思い出、運動会でみんなで笑った思い出、おもちゃをねだって二人に怒られたこと、初めて猫を飼ったときに家族みんなで笑ったこと。


たくさんの思い出が蘇ってきて、自然と涙が出てしまうことが何度もありました。私にとってやっぱり家族が同じ屋根の下で暮らすことは宝物でした。



母は父に置き手紙を残し、1匹の猫と私を連れて長年暮らした家を出ていきました。
その日からまた、過酷なことが続いたのですがそれはまたいつか。



母と家を出てから約8年、父に会うことはありませんでした。というか、父に黙って行方を眩ませたことに強い罪悪感があって会いにいけませんでした。父が辛いときに何もしてあげなかったことが、自分で許せなかったのです。


こうして家族はバラバラになりました。



これで良かったのか?
そう思う事が度々ありましたが、なるべくしてなった。そう思います。
みんな精一杯生きていたし、それしか出来なかった。家族がバラバラになるのは子供としても辛いです。みんな大切な宝物でしたから。


でも、仲の悪い両親の姿を見続けるのも同じくらい辛かったです。子供には親の感じていることや考えていることが伝わります。
親が不安なら子供も不安になり、親が笑えば子供も笑う。親には笑顔でいてほしい、それは今でも思っています。



今は父にも会っていて、いつもお家で焼肉を用意してくれます。私の好きなものをちゃんと覚えてくれていて、料理が得意な父はたこカルパッチョや、正月には美味しい煮物を作ってくれます。お土産にお酒とおつまみを持っていくと喜んでくれます。


私は今の父の姿を見ると、家族がバラバラになってしまったことは間違いではなかったんだと、ホッとします。いつだって心は繋がっていたんだ、とおもいます。



母は1年ほど前に再婚しました。再婚相手の方はたくさん苦労されており、そのせいか優しいです。
母も新しい生活を、試行錯誤しながら再婚相手の方と築き上げています。
そして、心の何処かでは父のことを心配しています。私にも、何かあったら言ってね。とのこと。



祖母は、私と母が出ていってから認知症になってしまい、父が在宅で介護をしていましたが今は施設に入りました。脳梗塞の後遺症を抱えながらの介護に限界を感じていたそうです。
何もしてあげられなかったことを申し訳なく思います。
祖母に2年前に会いに行ったら、私のことは忘れていました(笑)でも、祖母は笑顔でしたので安心しました。認知症になっても、おっとりマイペースなままでした。





これでこの話は終わりです。
みんななんとか、生き延びてきたことが救いです。誰かひとり自殺してしまっても、仕方が無いと言えるような状態でしたので。


今でも家族はわたしの宝物です。